こんにちは、優です。
私はどちらかというと割と人間不信です。
てかこうやって自分は人間不信だ!って言えば言うほど本当に人間不信になっちゃうんですよね。(/・ω・)/
でもまぁとにかく他人のことを100%信頼はできないって話です。
で、わたしよく妄想をするんですが妄想の中でイケメンが私にこう言ってくるんです。
「どうやったら僕のことを信頼してくれるの?」
と。
わたしはその問いの答えを一生懸命考えました。
どうやったら人は人を信用し信頼できるのだろう。
私の結論は
人を100%信頼するのは無理、絶対
理由は人は変わるから
変わってしまう可能性がとても高いから。
それは相手もそうだし、自分の気持ちが変わることもあるし。
よくある例でいったら「私が宝くじで1億円手に入れたとたんに周りの人の私への態度が変わる」みたいな。
これはわかりやすい例だけど、でも小さいところでそういうのが日々起こっていって、長い時間をかけてコツコツと人は変わっているんだなって思う。
それが良いときもあるけど(成長とか)、自分にとって悪いときもあるからなんとなく人を100%信頼するっていうのは難しい。
100%の信頼ってなんぞやって感じですけど。
今はすご信頼ができても将来的に信頼できなくなるかもしれないからそういう意味ではやっぱ人を信頼するのって難しいなって思います。
でもそういったら未来を見越して何が起きても変わらず100%信頼できそう、とか100信頼できる人がいるって人って相当少ないんじゃないか、っていうかいないんじゃないかと思う。
夫婦とかだったらそういうのもあり得るのかな。
そういうのは憧れる。
でもこの世には信頼が溢れている。
それはやっぱり一時的なものとか部分的なものなんだろうなぁっていう考えにたどり着いた。
今は、信頼できる、とか。
てかそれが一般的ですよね。
あとは、こういう意味では信頼できる。とか。
例えば
「このお医者さんは信頼できる(医療技術的な意味で。)」
「このバンドメンバーの演奏は信頼できる(音楽の技術的な意味で。)」
「この人には抱かれても大丈夫(セフレ的な意味で。)」
「この先輩は信頼できる(仕事ができるという意味で。)」
みたいな感じで。
そういう意味で言ったら私にも信頼できる人ってやっぱりいるなと思える。
私の考え方はいつも偏りがちで、0か100がなんでも考えてしまう。
部分的には信頼できても、少しでも信頼できない部分があると思ったらそれは「0」ととらえてしまう。
そして「100」の人なんて一生現れない。
そして私には信頼できる人なんて一人もいないと嘆き悲しむ。勝手に。笑
その考え方を改める必要があるなと思った。
そういう結論。
だから人に100を求めたり、100じゃないと満足できないって思わずに
この人のこの部分は信頼できる。とかそんなんでいいのかなと思った。
てかそんなもんだよな。
そう思ったら
「このバンドメンバーの演奏は信頼できる。ちょっと女にだらしないけど。笑」
みたいな感じで他人を受け入れられるようにもなってくる。
バランスだよなバランス。
私は恋愛とかしたら相手に依存してしまって相手に100を求めてしまうし、相手にとって自分も100でいたいとか思っちゃうから病むんだよな。笑
もっと大人にならないと。