私の中の希死念慮

こんにちは、優です。

 

久々にブログ書きます。

仕事暇だし。

というかやる気が出ない。

 

ここ最近、半年、いや一年?

いやいやもっともっとずっと前からだ。

 

私には希死念慮がある。

 

希死念慮ってなんか一時的なものじゃなくて

「あーいつか海外旅行に行きたいなー」とか「いつかお金持ちになりたいなー」

みたいな願望と同じで

「あー死にたいなー」って思ってるような感じ。

 

でもただの願望だから

海外に行くために飛行機のチケットを取ったりはしてないけど

でも行きたいって気持ちは心になる。

 

希死念慮もただの願望だから

死ぬために首つるための縄を買ったりはしてないけど

でもずっと死にたいって気持ちが心にある。

 

きしねんちゃん的な生き物が私の心に住み着いている。

心なのか、いや脳に住み着いてるのか。

 

とにかくこんなこと現実ではだれにも話せなくてつらい。

だから一応心の整理もかねてとにかく書いてみることにした。

 

 

まずは順を追って、いつからきしねんちゃんが生まれたのか。

なぜ生まれたのか。

 

たぶん、小学生くらいの頃には卵がポンと生まれていて

「嫌な出来事」がたくさんたまってそれが布団のように卵をあたためきしねんちゃんを育てたのだと思う。

 

今までのブログを見てもらってもわかる通り私にはコンプレックスがたくさんあった。

太っていて、運動音痴で、頭もよくなくて、天然パーマで、顔も不細工で

そのうえ嘘つきで性格が悪くてわがままだった。

 

性格は今も変わっていないけど、これ以上書くと自傷行為になりそうだからやめておく。

とにもかくにも私は自分のことがあまり好きではなかった。

 

それゆえに嫌なことはたくさんあった。

 

小学生の頃にあたためられたきしねんちゃんの卵。

きしねんちゃんは私が中学生の頃に卵の殻を割って出てきた。

 

中学生の頃、運動音痴なのになぜか私はバレーボール部に入った。

これがいけなかった。

コーチにいじめられて親にも責められて、すごくつらかった。

今思い出してもつらい。この記事を書きながら今にも泣きそうだ。

 

部活に行きたくなくて、胃がキリキリして、胸がきゅーっとなって

ご飯も食べられない日もあった。

その時の記憶を消した過ぎてあまり記憶にはないけど

死にたいって思ってたと思う。

きっとそう。

 

でもこのころはまだ、死にたい、というより逃げたい、だったし

高校生への憧れ、とか高校卒業したら東京に行く、とか

なんか未来に希望があったからまだよかった。

 

きしねんちゃんはまだひなの状態でとても小さかった。

 

けれどもきしねんちゃんの生命力はとてもつよい。

 

高校生になって、高校を卒業したら東京の専門学校に行って、社会人になった。

少しずつきしねんちゃんは成長をしていった。

大きくなったり、小さくなったりしながらも着実に成長していって

最初は私の心のほんの片隅で小さく丸まっている程度だったのに

居心地がよくなったのか、少しずつ自分の家具を増やしていき部屋を飛び回り

すっかり私の心を占拠していた。

 

 

社会人になって大人になった今、わたしは未来に希望が何もない。

きっとこの先恋人なんかもできないし、結婚なんて雲の上のようなこと。

わたしはぽんこつだから仕事だってうまくできなくてなんとか今の仕事を細々と続けるだけだろうし、

このままなんとなく一人で年を取って死んでいくのを想像したら本当になんかもう絶望しかない。

 

しかもその間も少し嫌なことがあればきしねんちゃんは大暴れするし。

 

周りからは結婚できない女、寂しい人、何もできない変わった人、底辺の人間だと思われながら生きていく。

つらすぎる。

 

だから周りの人との縁とかもう全部切りたい。

 

このまま生きていくくらいなら死んでしまいたい。

 

いつも死ぬことを考えるようになった。

仕事してても、旅行してても、歯医者に行っても死ぬことばかり考えてる。

 

お盆に実家の仕事の手伝いをした後、両親に「また来年も手伝いに来てよ」って言われたけども

 

来年私が生きてるかなんてわからないのに

 

死にたいのに、生きるために食事の準備をして食べるのも苦痛だ。

すごく矛盾だ。

 

どうせ死ぬのに、死にたいのに将来に備えて貯金をしたりするのも

矛盾していて嫌だ。

 

でも食事することも貯金することもやめられない。

どうせ生きるから。

 

とにかく殴り書いてみたけど結局何もまとまらない

 

生きる意味もわからない

この先生きていける気がしない